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中津市学校については
福澤は西欧漫遊から帰ったあと
直ちに手をつけた業績のひとつで
地方における私学校の先駆けとして中津に
作られたものです。
その創設においては、パトロンとして奥平家の存在が大きかったようです。
残念ながら金銭的な問題から長続きはしませんでしたが(明治17年廃校)
その教授陣は慶応義塾からキラ星のごとき人材が投入されており
(この件については私のページ、福澤の項に全員の名前が記載されています。
また中津市学校については慶應大学、福澤研究センターの西沢直子さんの
論文があり全文が彼女の承諾の下に掲載されています)
またその講義についてはすべて英語の教科書が使われていたという
先進的講義がおこなわれていたのですが、夜間部と女子部においては翻訳本よって
行われていたようです。
現在そのすべての教科書は中津市図書館に保存されており、一応閲覧可能であります。
かつてその一部は県立中津南高校と南部小学校に分かれて所蔵されていましたが、
数年前に一緒にされました。
よく間違えられるのですが
中津市の藩校(現在の小幡図書館の位置にあった)と奥平・福澤の中津市学校はべつものですし
中津市学校と県立中津中学校ともべつものです。
もちろん中津中学とその本校である大分中学の設立についても
福澤の大きなちからが働いていることはいうまでもありません。
中津には他に女子学校の先駆としての扇状女学校もあります。
(現在の龍谷大学付属高校)
さらに福澤がその設立に関与した学校群には各地の慶應義塾のみならず
東京大学、早稲田大学、慈恵医科大学、北里大学などがあります。
それにしても内尾さんにご紹介いただいた中津市学校、女子部の場所が
わかったことはうれしいことですね。
あとは夜間部の位置がわかるといいのですが。
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